2021/05/29

Love Stone










世界中の人々とハート型の石を磨く。彫刻家の冨永敦也さんがハート型に石を加工し、仕上げをこのプロジェクトに参加した人にお任せします。この彫刻家とのコラボレーションに、すでに世界中で2万人の人が参加したそうです。ただ磨くだけですが自分も参加して完成させたことで「石」への愛着が湧きます。

このハート型の石を磨いている時、人々は何を思い何を考えるのでしょうか。
ただの石なのですが、それぞれ別々のセンチメンタルなバリューを持ち、掛け替えのないものとして一生手元に置かれるというLove Stoneも少なくないでしょう。

IDOCHAにプレゼントされたLove Stoneは全部で8つ。この石にアミューズやお茶受けをのせることもあります。おもてなしのスペースで生まれる、Love Stoneと自家製のお菓子の組み合わせも、彫刻家とのコラボレーション。彫刻とお菓子の関係は、台座と彫刻の関係のようです。

世界各国で採集された石にノミを入れハートに掘り出されたLove Stoneは、お菓子をのせて完成。世界で初めての一期一会の彫刻作品です。















無題 1968, Cy Twombly

2021/05/28

Four Seasons

 











IDOCHAでは、おもてなしの道具として器やアートを活用します。

IDOCHAには先人がいます。スケールは全く違いますが...
Phillip Jonson. 彼は、Mies van der Rohe設計のシーグラム・ビルディングにある高級レストラン「Four Seasons」の内装設計をした時、現代アートに造詣が深いJohnsonは、レストランにかける絵画の制作を、後に巨匠と呼ばれるようになったMark Rothkoに依頼しました。

残念ながら、Rothkoの気が変わり、世界で最も美しいビルディングにある夢のようなレストランは不完全な形になりましたが、もし実現していたらと考えると心が踊ります。
美術館でRothkoをただ眺めるということに比べて、Rothkoの瞑想的な絵画に囲まれて食事する体験は、さぞ印象深いものになるだろうと想像します。










 Rothko Chapel 

Johnsonと同様に類稀なる目利きとして知られる白洲正子さんは、「器はいじってなんぼ」と考え、美術館に収まることを「器の終身刑」と表現したそうです。

大事な器だからと飾っているだけでは価値は半減してしまいます。実際に使って手や唇に触れて感じることによって本物の良さが分かるというもの。
私どものIDOCHAでは美術館級のアートも空間を演出する道具です。美しくデザインされた床の間にかけられた本物のアートは、空間の質を劇的に変化させます。

Art、器と食をキューレートし、記憶に残る非日常の体験を届けたいと思います。


注記、Four Seasonsが1958年、ニューヨークのマンハッタンにオープンした時、四季折々でメニューが変わるスタイルを初めてアメリカ人に紹介しました。この事実も、旬を大切にするIDOCHAとの共通点です。

2021/05/18

God in the details



なんとも美しい塗り絵。色の組み合わせがセンスよく、色鉛筆で丁寧に塗られています。全くはみ出しているところはなく完璧です。細部に手を抜かず一分の隙もなく完成させることが全体のイメージを創ります。隙により全体が崩れ凡庸なものになることを知っているので「完璧」を追求するのです。

ある著名な演出家による舞台のリハーサルに立ち会ったことがあります。舞台にいる俳優の動きと照明、音。そして、バックの映像をシンクロさせることに、全神経を集中させていました。照明や音が僅かにずれるだけで舞台は台無しになってしまう。細部(detail)は舞台芸術において命です。

 IDOCHAでは、良い茶席のように細部へ徹底して目を配り、心を砕いておもてなしすることを目指しています。フランを掬うスプーンの大きさと形状はこれで良いか。材質は漆か木にするか。グラスの底の形状に合わせてコースターを手作りしたり、おしぼりの材質にこだわります。布であれば発生してしまう小さなほつれも、そのままにすべきではありません。営業前にチェックし完璧にします。

ほとんどの人が気がつかない些細なディテールこそ、IDOCHAのクオリティーを創る。
God in the details.

2021/05/11

新たなお茶の楽しみ方


IDOCHAでのおもてなしは、いわば「堅苦しくはないお茶席」。壺には投げ入れた素朴な草花があり、漆喰の壁には軸の代わりに現代アートが掛かっています。懐石料理そのものではありませんが、旬の食材の香りを大切にした料理やお菓子を楽しんでいただきます。

抹茶はお茶会を連想させ敷居が高く近づきにくいと思う一方、一度、参加してみたいという方が多いのでないでしょうか。IDOCHAは、そのような方々のための空間です。茶席のような熟練の形式美はありませんが、ここでの創意工夫は全て最後の抹茶を美味しく味わっていただくためのものです。間延びした時間がないように出来立ての一品一品をテンポよくお出しし、抹茶碗は私たちのコレクションからお好みで選んでいただきます。

かた苦しさ抜きにしても本物へのこだわりと細部への心配りさえしっかりとしていれば、良い茶席にあるような主客が一体となる空気感を創出できる。

IDOCHAが提案する新たな「お茶」の楽しみ方です。


2021/05/08

京の名水


私は大阪出身ですが、高校生の頃から京都に憧れを持っていました。
故郷の大阪はかつて、水の都として「浪速の八百八橋」と呼ばれていました。市中に100双くらいの船が飲み水を売り歩いていたそうです。少し豊かな家には水壺が二つあり、一つは買った水が入れてあり、もう一つは普通の井戸水が入れられていました。井戸水は「洗い水」で、大阪の多くは湿地帯を埋め立てた土地で井戸を掘っても金気の含んだ悪い水しか出なかったそうです。

それに比べて京都は茶の湯に使われるほど美味しい水が豊富に出たので、少し口の悪い人は「水と言葉は、下にくだるほど汚れるのよ」と大阪を下に見ていたこともあったようです。大阪出身の私は苦笑いするしかありません。

kokeの中村シェフによると、IDOの水は、魚を捌いても違いが分かるそうです。丸魚に包丁を入れて水洗いするとき、彼が東京の店で水道水を使っていたときに比べて、明らかに魚の身が締まった状態をキープすることができ持ちが変わるとのこと。これは新しい発見です。

今では、京都でも井戸水は少なくなり、料理に井戸水を惜しみなく使えるほど贅沢なことはありません。ぜひ「美味しい水」からのおもてなしを、IDOCHAで体験していただきたいと思います。

2021/05/04

一座建立

大文字山の麓に佇む「石の庭」   

冨長敦也作 はじまりの石  

亭主がある客のために茶会を開いたとしましょう。客のことを思い軸、花、道具そして料理をキューレートしても、客がその亭主の意図を汲むことができなければ、退屈で凡庸な場になります。一方、客が亭主が企画した一期一会の場を特別なことと受け取り名残を惜しむ空気感が生まれた時、その特別な場を「一座建立」と呼びます。

一座建立には別の意味もあります。複数のメンバーで何か新しいものを生み出すとき、それぞれが担当分野が違っても目標にブレることなく阿吽の呼吸で最終着地したとき、この価値あるプロジェクトに関わることができたことを全員で喜び満足感に浸ることも「一座建立」。

先日、最初のゲストとして、このプロジェクトに関わっていただいたクリエーターの方々をIDOCHAにお招きしました。彫刻家の冨永敦也さんは建築家と作庭家とコラボレーションするのは初めてでしたが「一座建立」のコンセプトに共感していただき創作を引き受けてくれました。

建築の水谷光宏さん、作庭の山下雅弘さんとすり合わせの機会を重ね、ある時、石をこよなく愛する冨永さんに見てもらいたいと、京都洛北、大文字山の麓に佇む「石の庭」を一緒に見学したこともありました。その様なコミュニケーションと共通の体験が創作の糧となり現場での試行錯誤を経て据えられた彫刻は、「一座建立」を体現するIDOのアイデンティティーになりました。


2021/05/01

IDOのはじまり



敷地には元々、井戸があり1分間に100リットルが流出するという豊富な井戸水に恵まれています。この井戸水を最大限活用する施設を造ろうと思ったのが、このプロジェクトの始まりでした。


関東の水は山が遠く(軟水の中でも)硬度が高く出汁が出にくいと言われています。硬度が高い水はミネラル成分がじゃまをして出汁の成分が溶け込みにくいからです。一方、京都の水は山が近く軟水なので、出汁を取るのに最適です。この京都の名水により香りを楽しむ繊細な京料理が生まれ、茶の湯の文化が発展しました。


「湧き水」から始まる自然の魅力をIDOの庭はうまく表現しています。作庭した山下雅弘氏は山に近い井戸から水が湧いている様子を現し、彫刻家の冨永敦也氏は上流にある石はゴツゴツしていて、下流にある石は川を下る間に表面が削られ滑らかになる、という「自然の力」を彫刻で表現しました。


この自然の水を惜しみなく使えることは、IDOにある全ての店舗の特権です。