2022/01/05

Anselm Kiefer 2











私は、1988年、ニューヨークの近代美術館において開催されたAnselm Kiefer展でこの画家のことを知りました。

作家は、4メートルを超えるもの作品を多数創作し、キャンバスに絵の具というありきたりなメディアでの表現にとどまらず、金属や木片、藁、といったおよそ絵画には使われたことがない物体を駆使し3次元的に制作します。

それら質量のある物体を立体的にコラージュした作品群を展示した部屋に一歩入った時の印象は強烈でした。画集で見た印象と実物のそれは全く別物で、画集が小さな水風呂としたら、実物はフィンランドの大自然にある湖に飛び込むようなもの。

この圧倒的な展覧会を体験し、現代美術は写真ではなく実物を見なければ知ったことにならないと痛感しました。




2022/01/04

Anselm Kiefer 1

 










冬のIDOCHAの壁にかかっていた絵は、ドイツのAnselm Kiefer(アンセルム・キーファー)という作家の作品です。

1980年代に注目を集め、今、ドイツの代表的な現代美術の作家として活躍しています。

ドイツの暗い歴史を振り返り、圧倒的な迫力で過去の記憶を蘇らせ鑑賞者の心に訴えかけます。ドイツ人でなくとも、彼の絵画表現に感銘を受ける人は少なくないと思います。

タイトルは、ドイツ語でSiegfried Vergisst Brunhilde. 
このタイトルの由来は不明ですが、Siegfried と Brunhilde はゲルマンの神話上の人物で、前者は戦士、後者は女性の名前です。
ドイツの長い歴史の中で、この荒れた畑の風景は、今も昔も変わらない原風景でもあります。
この風景は、遠い彼方まで描かれていますが、その彼方はジーグフリートの神話が語られていた遠い昔であり、現代から遠い過去にタイムマシーンように遡って想いをはせる、といった心の深層を描いた作品だと思われます。

彼の作品は、一般的な感覚では美しいとは言えませんが、ドイツ人の魂の叫びのような強烈な印象を受けます。

この作品は、彼の作品の中では珍しく親しみやすい作風ですが、荒涼とした畑の描写はヴィンセント・ヴァン・ゴッホの風景を彷彿させる荒々しさを感じます。


2022/01/01

Piss Painting

 



ピエロ・マンゾーニのアバンギャルドに匹敵する作品を一つ挙げるとしたら、それはアンディ・ウォーホールの「Piss Painting」。

ウォーホールは、ファクトリーと呼ばれる自身の仕事場に、銅の絵の具で表面を塗りつぶした大きなキャンバスを床に置き、街を歩いている少年を連れてきて「おしっこ(Piss)」をかけさせました。銅色のキャンバスのPissがかかった部分は酸化されグリーン色に変化し、独特の表情を持った抽象絵画が出来上がりました。


このウォーホールの作品は、既製品の便器を展覧会に出展しアートの概念を根底から覆したデュシャンのオマージュです。














それだけではなく、水平に置いたキャンバスに絵の具をドリップして描いた画家ジャクソン・ポロックのパロディでもあります。


デュシャンやポロックが生きていて、この前代未聞の方法で制作されたPiss Painting を観たとしたら「そこまでする?」と呆れた顔をしたかもしれません。

2021/10/20

芸術の価値

 












ピエロ・マンゾーニというイタリアのアーティストがいます。

彼は、1961年「Merda d' artista(芸術家の糞)」を世に送りセンセーションを巻き起こしました。これは「芸術家の糞」とラベルに書かれた缶詰なのですが、中には本当にラベルに書かれたものが入っているのでしょうか?

この作品は、2015年、Christie'sのオークションに予想落札価格70,000英ポンド〜90,000英ポンド(約1100万円〜約1280万円)として出品され、その高額な予想価格を大幅に上回る182,500英ポンド(約2884万円)で落札されました。

これだけの高額になると缶を開けて中身を確認するわけにはいかず、何が入っているのか謎に包まれたままです。

一般的にアートは美しいものという常識がありますが、マンゾーニの作品を初め、アート作品には醜くおどろおどろしいものが多く存在します。

私は、ヨゼフ・ボイスの言葉を引用し、「形のない美しいものを相手にうまく伝えられた時、それは芸術になる」と記述しました。

これを言い換えると、何か美しいものが創造された時、それが人々にインパクトを与え、さらに口コミで広がるというものならば、それは芸術である。さらに、その作品に関して評論家が論文を書き、その論文が素晴らしく多くの人に読まれたとしたら、その論文の元になった作品は価値ある芸術作品。つまり、優れた芸術作品は社会的な価値を持っているのです。

「嫌われ者世にはばかる」というように、誰の目にも留まらないよりは、アンチでも無視されるよりはましだ、ということです。むしろ、アンチが多いほど、ファンも多く存在感が大きいのも事実。

「芸術家の糞」もそんな作品。アートの世界に大きなインパクトを与え、アートの常識を覆した。鑑賞者は好奇の眼差しでそれを眺め、これのどこが芸術なのかと憤慨する人がいたり、中に何が入っているのか知りたいという欲求に駆られたり... 無視できない存在感が、缶詰のラベルによって生み出される。そのような作品を生み出したマンゾーニは優れた芸術家なのです。






2021/09/10

「Everyone is an artist」すべての人は芸術家である

 


これは、ヨゼフ・ボイスの言葉です。形のない美しいものを、相手にうまく伝えられた時、それは芸術になります。

芸術は画家や音楽家だけのものではなく、教師であれ調理師であれ感動を伝えることができれば、その行為は芸術です。教師が授業で知識を授けるに留まらず生徒の行動を変える気づきを与えることができたら、それは紛れもなく芸術活動。なぜ、感動が必要なのか?それは感動がなければ、人々の考え方や価値観が変わらないからです。


人に感動を与えるという意味で、最近、観た素晴らしい芸術を一つ挙げるなら、それは兵庫県立美術館で開催された「コシノ・ヒロコ展」です。

この展覧会を観た人は、コシノさんの多彩な作品を再発見し人間コシノ・ヒロコを身近に感じたに違いありません。

もちろんコシノさんの凄さもさることながら、この展覧会のコンセプト、空間のデザインからポスターまでトータルにデザインを担当した三木健さんによる演出が秀逸でした。

モネによる睡蓮を描いた大作は、本物の睡蓮の庭を体験するよりも何倍も強烈な印象を与えます。三木さんによる展覧会もまたコシノさんを素材に数々の驚きの連続。斬新な演出のオペラを観終わった時のような余韻に浸って美術館を後にしました。彼の仕事は極め付きの芸術活動に他なりません。